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郡名一覧表・南樺太の部
(本ページをご覧頂くに当たっての注意)
・発足年月日欄に「―」を記している郡は市制町村制施行前から存在したところである。なお、南樺太の市制町村制施行年月日は1922年(大正11年)4月1日である。
・郡の読み方には諸説あるところがある(特に明治時代に消滅した郡についてはそういう傾向がある)。ここで記しているのは一例なのでご了承願いたい。
・「読み方」欄では「郡」の部分の読み方は省いている(全て「ぐん」と読むため)。
・南樺太、すなわち樺太島のうちの北緯50度より南の地域が日本の領土になったのは1905年(明治38年)のこと(日露戦争〔1904〜1905〕の講和条約となるポーツマス条約の締結による)だったため日本の大半の地域には存在する令制国は存在しない。そのため本ページには令制国に関する記述は一切ない。その点はご理解頂きたい。
・南樺太の郡の変遷に関しては資料が少ないことなどから誤っている箇所が多数ある可能性がある。その点はご了承願いたい。
うの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
町 | 村 | 合計 | |||||
鵜城郡 | うしろ | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 久春内郡の一部区域(珍内町)や名好郡の一部区域(恵須取・塔路両町)と統合して発足した恵須取郡に移行したことにより消滅。 ※久春内郡の恵須取郡に移行しなかった区域(久春内村)は泊居郡に編入。 |
えの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
町 | 村 | 合計 | |||||
恵須取郡 | えすとる | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 正確な発足年月日は不明。 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約ともサンフランシスコ平和条約とも称する。日本国との平和条約というのは正式名称のTreaty of Peace with Japanを和訳したものである)の発効(1952年〔昭和27年〕4月28日)をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦い(1945年〔昭和20年〕8月11〜25日)で樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太(樺太島のうちの北緯50度より北の地域)のみを領有していたソヴィエト連邦(1922〜1991)が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
おの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
大泊郡 | おおとまり | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
くの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
久春内郡 | くしゅんない | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 一部地域(珍内町)が鵜城郡の全域や名好郡の一部区域(恵須取・塔路両町)と統合して発足した恵須取郡に移行したことと、恵須取郡に移行しなかった区域(久春内村)が泊居郡に編入されたことにより消滅。 |
さの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
栄浜郡 | さかえはま | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 豊原郡と統合して発足した豊栄郡に移行したことにより消滅。 |
しの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
敷香郡 | しすか | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
ちの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
散江郡 | ちりえ | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 敷香郡に編入されたことにより消滅。 |
との部(4郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
泊居郡 | とまりおる | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
豊栄郡 | とよさかえ | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 正確な発足年月日は不明。 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
豊原郡 | とよはら | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 栄浜郡と統合して発足した豊栄郡に移行したことにより消滅。 |
富内郡 | とんない | ― | 1929年 (昭和4年) 7月1日 |
― | ― | ― | 長浜郡に編入されたことにより消滅。 |
なの部(2郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
長浜郡 | ながはま | ― | 1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 大泊郡に編入されたことにより消滅。 |
名好郡 | なよし | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
にの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
新問郡 | にいとい | ― | 1929年 (昭和4年) 7月1日 |
― | ― | ― | 敷香郡に編入されたことにより消滅。 |
のの部(2郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
野田郡 | のだ | 1923年 (大正12年) 4月1日? |
1942年 (昭和17年) 11月X日 |
― | ― | ― | 真岡郡に編入されたことにより消滅。 |
野田寒郡 | のださん | ― | 1923年 (大正12年) 4月1日? |
― | ― | ― | 正確な消滅年月日は不明。 野田郡に改称したことにより消滅。 |
ほの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
本斗郡 | ほんと | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
まの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
真岡郡 | まおか | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
もの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
元泊郡 | もとどまり | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
るの部(1郡)
郡名 | 読み方 | 発足年月日 | 消滅年月日 | 所属町村数 | 備考 | ||
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町 | 村 | 合計 | |||||
留多加郡 | るうたか | ― | 1952年 (昭和27年) 4月28日 |
― | ― | ― | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことにより消滅。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |
郡の内訳
状況 | 郡数 | 備考 |
---|---|---|
現存 | 0 | |
消滅 | 20 | 理由は次の通りである。 ・郡の再編…9郡 ・改称…1郡 ・日本国との平和条約発効による領有権喪失…10郡 |
合計 | 20 |
郡数の変遷と郡の異動
年月日 | 郡数 | 異動内容 | 備考 |
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1922年(大正11年)4月1日 | 17 | 南樺太で市制町村制が施行される。 | |
1923年(大正12年)4月1日? | 17 | 野田寒郡が野田郡に改称する。 | 正確な改称年月日は不明。 |
1929年(昭和4年)7月1日 | 15 | 富内・新問両郡が消滅する。 | 富内郡の消滅は長浜郡に編入されたことによる。 新問郡の消滅は敷香郡に編入されたことによる。 |
1942年(昭和17年)11月X日 | 10 | 恵須取・豊栄両郡が発足する。 | 正確な異動年月日は不明。 恵須取郡は鵜城郡の全域と久春内郡の一部区域(珍内町)、名好郡の一部区域(恵須取・塔路両町)が統合して発足。 豊栄郡は栄浜・豊原両郡が統合して発足。 久春内郡の恵須取郡に移行しなかった区域(久春内村)は泊居郡に編入。 散江郡の消滅は敷香郡に編入されたことによる。 長浜郡の消滅は大泊郡に編入されたことによる。 野田郡の消滅は真岡郡に編入されたことによる。 |
鵜城・久春内・栄浜・散江・豊原・長浜・野田各郡が消滅する。 | |||
1952年(昭和27年)4月28日 | 0 | 恵須取・大泊・敷香・泊居・豊栄・名好・本斗・真岡・元泊・留多加各郡が消滅する。 | 日本国との平和条約の発効をもって日本が南樺太の領有権を喪失したことによる。もっとも、樺太の戦いで樺太庁が管轄下に置いていた南樺太をそれまで北樺太のみを領有していたソヴィエト連邦が支配下に置いたため日本国との平和条約発効時点では日本の支配の及ばない地域になっていた。 |